高校生の頃、美術部だったんですけど、部活動で写生しに岬まで行ったんですよ。そのときにね、途中経過での講評で、先生がこう言ったんです。
「いちばん絵が面白いのは、書き始めのときだ。その面白さは書き進めていくとどんどん減っていく。いかに書き始めの面白さを維持して書き上げるかが、絵の面白さだ。」
そのときわたしは思ったんです。
「それな」
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どんなことでも冒頭がとにかく好きな女、あかりさんです。どうもどうも。
ゲームは開始数時間が最も楽しい。小説は冒頭を読むのが一番楽しい。漫画は冒頭の物語が最も面白い。ブログは書き始めが一番楽しい。絵は下書きの段階が一番楽しい。
さいきんこの冒頭愛好が、若干常軌を逸しているのでは疑惑が浮上してきました。
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ゲームは最初だけ…つまり、プロローグをこなし、主人公に名前をつけ、主人公の仲間にであい、ちょっぴり物語を進めるあたりで90%満足して放置したりする。とくにストーリー系はこの傾向が強い。
小説は、冒頭1000字くらい読んで、なるほどこの主人公はこれこれこういう理由で、これからこうなるのだなあと察したくらいで90%満足して、続きを読まなかったりする。
たとえばWEB小説とかだと、わたしは無類のノマカプ好きなので、ティーンズラブ系をよく読むんですが、中世風ファンタジー世界に、コレコレこういう理由で異世界トリップをしてしまった主人公が王子様だの騎士様だのとおもしろいかんじで出会い、これからてんやわんやの珍道中がはじまるんだぜ〜みたいなところで、「ふう…なるほど!」ってもう満足してしまっている。なるほどじゃねーよこれから始まんだよって感じでしょ?わたしもそう思う。
さらにわたしは「アンハッピーエンド受け付けない病」も併発しているので、ハッピーエンドかどうか予測できない作品は、最終話を読んでちゃんとハッピーエンドっぽいか確認してから、読み始めたりもする。
この2つの病気のために、つまり一番面白い冒頭を最後に楽しみたい&アンハッピーエンドなら読みたくないがために、最終話を読む → 物語の中盤を読む → 第一話を読む、という我ながらわけがわからない読み方をしていることも。
一応補足ですが、アンハッピーエンドを受け付けないのは、ノマカプ摂取のための乙女小説に限ります。
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ノマカプのストーリーも全く同じで、ふたりの出会い、つまり冒頭が見たいんですよわたしは。
幼馴染ものとか、すでに夫婦とか、お呼びじゃないんですよわたしは。
今まで全く欠片もこれっっぽっっちも接点のなかったふたりがボーイミーツカールするところから見たいんです。そこからじりじりいびつに距離を縮めていくところが見たい、草葉の陰からじっくりねっとり観察していたい。そういう欲望のみで生きているんですわたしは。
幼馴染ものだとしたら、小学生とかのころに距離を置いてしまい、数年後ふたたび距離を縮めざるをえなくなるとかそういうのが好きなんです。ただの“幼少期交流があった人”扱いでいいんですよ。
つまり新鮮さというか、ゼロからのスタートが好きなんです。
すでに距離が近い状態のノマカプというのは、わたしにとっては物語の中盤なんですよ。
最終話読んでから読むやつやねん。
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そういうわけで、冒頭だけ知ってるよって作品はすっっっごいいっぱいあるんですが、最終話まで見たよ・読んだよって作品は、およそ冒頭知ってる作品の5%くらいの割合に激減します。100作品中最終話まで付き合うのは5作品、と、こういう割合。
そう考えると、絵だけでなく、あらゆる作品媒体に対して、この記事冒頭の先生の言葉は当てはまるんじゃないかと思っています。
プロローグの面白さ、勢いが持続する作品が一番面白いんじゃないかって、そう思うわけであります。
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追記
白川 あかりちゃんボーイミーツカールになってる 2017/03/19 19:07 |
しずく あかりちゃんのボーイミーツカール可愛くてスクショした 2017/03/19 20:31 |
ほんまやボーイがカールにミーツしてしまってる………